日光東照宮が美しいのは、3代将軍・徳川家光がおじいちゃんっ子だったから!?

文化と歴史

「日光を見ずして結構と言うな」という言葉がある。

日光東照宮を見たことがないものは、建築の美しさを語る資格はない。という意味の、江戸時代にできた言葉である。

自然豊かな日光の山の中、金色に光り輝く日光東照宮は、徳川家康を神様として祀るために江戸時代に建てられた。

一般庶民にまで参拝が許されたこの神聖な場所は、当時の人達にとっても、一度は訪れておきたい場所だったということだろう。

私たちが「日光行きたいなぁ」と思う感覚は、江戸時代の人々と通ずるのかもしれない。

そんな、現代も老若男女たくさんの人が訪れる日光東照宮だが、その美しい姿になったのには、ある「家康大好き・おじいちゃんっ子」の存在がある。

徳川家康は、自分が死んだら日光に祀ってほしいという旨の遺言を残していた。

そのため日光東照宮という形で家康が祀られることとなった。家康のお墓があることもご存知だろう。

しかし、その遺言では「日光に小さなお堂を建てて祀ってくれ」と言っており、実はこんなに豪華絢爛にしてほしいなんて言っていないのである。

なぜ、日光東照宮がこんなにもきらびやかで壮大なものになったのか。

ここではその理由を探っていこう。

2代目・秀忠、遺言通りの質素な建物を造る

まず最初の東照宮は、徳川初代将軍・家康の息子、2代目将軍・秀忠が建てた。

秀忠は、遺言通り日光に家康を祀った。そして建物も遺言通り、現在の姿とは全く異なるような簡素なものを造った。

このあたりは秀忠の真面目で素直という人間性が表れているようにも思われる。

当時なら当たり前である側室がいなかったという話や、年上の正室である奥さんには尻に敷かれていたなんて話もあったり。

家康の命令には絶対に従う、けど張り切りすぎて空回りしてしまうといった話もあるくらいに生真面目な秀忠らしく、遺言の通りに簡素な造りにしたのではと想像がつく。

3代目・家光、豪華な建物に造り変える

その後、日光東照宮を現在の姿のような絢爛豪華なものに大改修したのが 「家康大好き・おじいちゃんっ子」 である、3代目将軍・徳川家光である。大改修を寛永の大造替という。

知名度的には2代目・秀忠よりも3代目・家光の方が上だろうか。大名に地方と江戸を1年おきに住まわせる、参勤交代を始めたことでお馴染みだ。

家光は祖父である家康のことが大好きだった。おそらく大好きといった表現では収まらないくらいに尊敬していた。「死後も東照大権現様(家康のこと)にお仕えする」と言っていたくらいだ。

その理由に、家光が子供の頃の、跡継ぎ問題に関するエピソードがある。

家光が家康大好きになったきっかけ

登場人物は、家光の幼名である「竹千代」と弟の「国松」。

ちなみに竹千代という名前は家康の幼名と同じである。期待を一身に背負った名前だ。

竹千代は次男で国松は三男。長男は既に亡くなってしまっていたので、普通にいったら竹千代(家光)が跡を継ぎ、将軍になる。

しかし、三男の国松の方が見た目も良く、賢かった。また、竹千代を育てたのは、乳母という生母とは別の育ての母だったのに対し、国松は生母が直々に育てた。

そういった背景があり、竹千代ではなく国松が跡を継ぐのではないかという噂が家臣の間で広まった。

その噂を一蹴し、3代目将軍・家光への後押しをしたのが祖父・家康だった。

ある日2人を呼び出した家康は、竹千代に対しては「竹千代殿、こちらへ」と丁寧な言葉を使い、国松に対しては「国松、あちらに行け」と言ったという。

これは国松にかなり同情してしまう話ではあるが、跡継ぎ問題はこのくらいしないといけなかったのだろう。

内部でドロ沼争いが起きてしまうと、徳川家の崩壊に繋がりかねないという点も懸念したのかもしれない。

他にも、竹千代に対しては「これを食べてみなされ」と言い、国松には「これを食え」と言ったり。

家康はこのように、竹千代と国松に対する態度の違いを明確にした。家臣達も、この明らかな態度の違いを見れば、「国松様が跡を継ぐのでは…」とは思わなくなっただろう。

3代目将軍になれた家光は、この時の家康に対する御恩は一生忘れなかっただろうし、将軍になった家光が政策で困っている時には、家康が出てきて助言をしてくれるなんて夢を見るほどに崇拝していた。

家光は、そんな尊敬する祖父が祀られる場所がこんな質素ではダメだ!と思ったのか、幕府の経費を費やし大規模改修に至ったのであった。

庶民の憧れになった、日光東照宮

そんな経緯を経て、現在の姿に見るような豪華絢爛な日光東照宮が出来上がったのだが、その煌びやかさは幕府の権威を象徴する上でも大きな役割を持った。

幕府は庶民にまで日光東照宮への参詣を許したため、江戸時代にもたくさんの人が訪れた。一般の人は陽明門までしか入れない等の制限はあったが、一般庶民が徳川幕府の権威の象徴を間近で拝見できる貴重な場であった。

もし、神様として徳川家康を祀る神聖な東照宮が簡素で小さなお堂だったら、庶民には「意外としょぼいな」と舐められてしまうだろう。

国内を絶対的な権力で統治するため幅広い人々に「やっぱり徳川様はすごいなぁ」と思わせ、徳川幕府の権威をPRする場としても大きな意味があった。

それだけでなく、日光東照宮の建築の美しさのおかげで、外国人観光客にも人気になり、世界遺産にも登録された。家光の功績は、現代にまで至る。

そんな家光は、日光東照宮の近くの輪王寺・大猷院という場所に祀られている。

東照宮よりは規模や華やかさを抑え、東照宮を向くようにして建てられている。

本当におじいちゃんが大好きなんだなぁ。

そんな二人の関係性を感じながら、日光を訪れてみてはいかがだろうか。

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