上野は”ミニ名所”だらけ!ミニ琵琶湖やミニ清水寺などなど

文化と歴史

休日の上野公園。

それぞれが、思い思いに休みを満喫している。

ギターを練習する男女に、噴水に入って警備員に注意される大学生。2匹のサルを散歩させているおじさん。その近くには、喉を膨らませて求愛をする鳩。

期間限定の企画展が行われている美術館には、長蛇の列ができているし、動物園に向かって歩いている家族には幸せが溢れている。

こんなに、”いろいろ”が一箇所に集まっている場所は、他にないように思う。

そんな中、私は一人、脳内を江戸時代にタイムスリップさせてみる。

だって、上野は江戸時代からすでに、”いろいろ”だったのだから。

江戸時代の上野は、各地の名所たちが集り、観光名所として栄えた。上野の賑わいは、江戸時代から始まっていくのだ。

「上野」は、三重県の地名が由来

まずは、「上野」の由来。上野という地名も江戸時代から始まる。

これには諸説ある話だが、江戸時代初期の重要人物でもある、藤堂高虎という人物が命名したという説がある。

高虎は、三重県の津を治める大名だった。その領地内に、「伊賀上野」(現伊賀市上野)という地があった。そこの地形によく似ていたため、「上野」と名付けたのだとか。

現在の上野公園辺りは江戸時代津藩の屋敷があり、そこに住むことが多かった高虎は、お墓も東京の上野にある。

上野に次々できあがる、関西の名所たち

この地が上野と呼ばれるようになった頃、観光名所として栄えるきっかけとなる、あるお寺が建てられる。

徳川将軍家の菩提寺(先祖代々の墓がある寺)にもなる、「寛永寺」だ。

この寛永寺の建立に伴って、上野に様々なミニ名所ができあがっていく。京都のあのお寺や、日本一のあの湖など。そして、関西の名所が多いのにも、ちゃんと理由がある。

京都の延暦寺を上野にも!「東叡山寛永寺」

江戸時代初期、将軍は3代目の家光の頃、徳川幕府の安泰と人々の平和を願って建立されたのが寛永寺だ。

建てた人物は天海という僧侶で、家康の頃から徳川家のブレーンとして貢献していた人物。家康を祀っている、日光東照宮の建立にも深く関わっている。

後には4代将軍家綱のお墓が造られるなど、徳川将軍家の菩提寺にもなった。

この寛永寺、正式名称を「東叡山寛永寺」と言うのだが、名前が似ているお寺があるのをご存知だろうか。そう、京都の「比叡山延暦寺」。

実は寛永寺は、平安時代に朝廷の安泰を祈る寺であった延暦寺になぞらえたのだ。延暦寺は、京都の鬼門とされる、北東の方角を守るように位置しているのに対し、寛永寺も江戸城の鬼門の位置に建てられた。

寛永寺を、江戸版の延暦寺にしようとしたのだ。

ちなみに寛永寺は現在、場所が移転されているため、上野公園内にはなく少し離れた場所にある。

東叡山寛永寺

琵琶湖を真似よう!「不忍池」

京都の仕組みを真似ようとしたのは、延暦寺だけでない。

京都では、中心の朝廷があった場所から鬼門である北東方向に比叡山延暦寺があり、さらにその北東には法厳寺という寺がある。

この法厳寺は、琵琶湖に浮かぶ竹生島という島にあるのだが、これをそのまま寛永寺の近くにも造る。

それが、上野の不忍池だ。不忍池には、奥に進むと島みたいになっており、そこには寺のような建物があるのをご存知だろうか。これは弁天堂といって、法厳寺の仏様の分霊が入れられたお堂だ。

要するに、天海は琵琶湖&竹生島&法厳寺のセットを、上野にも築いたのだ。

元々からこの地に池はあったそうだが、まさか日本一の湖のようにさせられるとは、この池も荷が重かっただろう。

不忍池

清水の舞台も建てちゃおう!「清水観音堂」

そして、上野には修学旅行で定番のあの名所もある。

天海は寛永寺を建てた後も、比叡山や京都にある有名なお寺をなぞったオマージュ寺を、次々に建てる。

その中のひとつが、このお寺。

写真を見れば一目瞭然、有名なあの清水寺のオマージュだ。「清水観音堂」という。

清水観音堂

この清水観音堂は、歌川広重の錦絵にも描かれている。

歌川広重『上野清水堂不忍ノ池』

寺が建てられてから、200年以上経った後の、1856年の作品。この頃には桜が植えられ、多くの人々で賑わっているのが分かる。

上野の名所化たのめに、このミニ清水寺が果たした役割は大きかったのだろう。

修学旅行で定番の、あの名所まで!?

修学旅行で定番と言えば、他にも何かあげらるだろうか。日光東照宮?鎌倉もしくは奈良の大仏?

それ、どっちも上野にあるよ。

黄金の輝き!「上野東照宮」

東照宮とは徳川家康を祀る神社のこと。

もちろん、有名なのは日光東照宮だろう。家康が自分を日光に祀ってくれという遺言によって建てられた。

だが、家康の分霊を祀る東照宮は全国各地に存在し、その数は130ほどにもなる。

そして東京の上野にも東照宮がある。

黄金に輝く本殿や躍動感ある動物たちの彫刻は、日光にも引けを取らない、かも。

現在残る建物は江戸時代からのもので、関東大震災や空襲などがあったにも関わらず焼失を免れており、強運のご利益がある神社になっている。

上野東照宮

今は顔だけ!?「上野大仏」

そして、大仏。

奈良や鎌倉の大仏を想像させておいて、上野の大仏を見せるのは少々勇気がいる。怒られるかもしれない。でも、いや、逆に面白いと思ってもらえるかもしれない。

こちら。

上野大仏

良い表情をした、顔だけの大仏。

ふざけて作ったわけではない。元々はちゃんと体もあったのだ。

元々は6mほどの高さがあったという。ちなみに奈良の大仏は約15mで、鎌倉の大仏は約11m。

戦死者を追悼するために造られた上野大仏だったが、関東大震災で胴体が壊れてしまい、現在の顔だけ大仏になった。

しかし、もうこれ以上は落ちない、ということで「合格大仏」と言われている。

強運の東照宮と落ちない大仏。受験生にぴったりのパワースポットではないか。

明治以降も文化・芸術の中心地になった上野

江戸時代が終わり、明治時代になっても上野は文化が集う地としてさらに発展する。

上野公園として整備されると、明治10年には現在の国立科学博物館の前身が建てられる。また同年には、国内の産業発展のための、内国勧業博覧会が開かれる。

明治15年には日本初の動物園である上野動物園ができたり、国立博物館ができたりする。

このようにして上野は、オマージュとオリジナルが織り交ざった、”いろいろ”ある場所になっていったのだった。

パンダを見に行った帰りに、そんな昔のことも感じてみてはいかがだろうか。

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