膨らみとくびれを歩く Vol.2紀尾井坂

東京さんぽ

東京の膨らみとくびれを歩くシリーズ第2回目。

前回はお茶の水から秋葉原を歩き、地形の標高差や人の手によって作られた堀を感じようという回だった。

今回のテーマはずばり、「坂を感じよう」だ。

東京にはたくさんの坂に溢れている。どの坂も、実に走りたくなる坂である。

坂があるということは、つまりはその地が膨らんでいるということ。もしくはくびれているということ。膨らみとくびれを感じながら歩くというテーマにぴったりだ。

しかも東京には一つ一つの坂に名前がついていて、説明書きのついた案内板がある。なんて素敵なことだろう。その坂にまつわる出来事や歴史、名前の由来などが書かれている。ぜひ一度足を止めてひと眺めするような心の余裕が欲しいものだ。

今回歩くのは、四ツ谷駅近くの「紀尾井坂」という坂。場所はこの辺り。

「真田堀運動場」を見下ろしながら、堀の上を歩く

スタート地点はJR四ツ谷駅の麴町口。

駅を出ると、目の間にこのような大きな交差点がある。そこを真っすぐ進もう。

進むとソフィア通りというオシャレな名前がついた道路の右側に、土が盛られたような膨らみが続いているのが見えてくるだろう。

その膨らみの向こう側は、中央線と総武線の電車が低い位置を走っている。見下ろすほど低いのは、ここが谷になっているから。

まずはこの景色が、膨らみとくびれポイントその1。

これは江戸城の「堀」なのだ。

この地は江戸城の外堀にあたる部分

堀とはお城を守るために作られる溝のことで、現在東京にある堀は、中枢部であった江戸城を守るために江戸時代に掘られた。

江戸城の堀は、二重に掘られている。江戸城の中心に近い堀は「内堀」、遠い堀は「外堀」と呼ばれる。四ツ谷にあるこの堀は「外堀」にあたる部分。

溝の淵にあたる部分は、土を盛ったりして防御を固めるため、谷に沿うようにして土手のように膨みが続いているのだ。

この土手は遊歩道になっており、上に上がって歩くことができる。せっかくなので、堀の上を歩いていこう。

真田信之が作ったとされる「真田堀」

堀の上を歩いていくと、下にグラウンドが姿を現す。

これは上智大学のグラウンドなのだが、その名も「上智大学真田堀運動場」。

真田といったら真田幸村が有名だと思うが、この堀は幸村の兄、真田信之が徳川家康の命を受けて築いたとされる堀である。

しかし、当時築かれた堀はグラウンドの下。現在は埋め立てられ、グラウンドとして使用されているのだ。

左側が土手で、右側が運動場だ。かなり高低差があるように見えるが、これでも埋め立てられているわけなので、本来はさらに高低差があったのだろう。

オフィスビル・商業施設の間に現れる紀尾井坂

堀の上の遊歩道も行き止まりにたどり着き、階段を下りて左へ曲がる。

そこでつながる目の前の道路が紀尾井坂だ。

紀尾井坂を挟むように、両サイドにはオフィスビルや商業施設が建ち並ぶ。

右側に見える、頭に円盤をのせたくの字型の建物が「ホテルニューオータニ」で、左側には「ハウス食品」の本社があったりする。

下ってまた上る紀尾井坂

ここで、標高の高さが分かる地図を見てみよう。

四ツ谷駅から辿ってきたルートがこちら。

国土地理院の地図を基に作成

四角い枠で囲った場所が紀尾井坂。

標高は赤→オレンジ→黄色→緑の順番で低くなっていくので、紀尾井坂はそこそこ急な下り坂→平ら→緩やかな上り坂になっているということが分かるだろう。

ここが、今回の膨らみとくびれポイントその2。

赤い部分が標高が高くなっている膨らみ部分、つまり「台地」。東京のこの台地のことを「武蔵野台地」と呼ぶ。

そして、緑色部分が標高が低くなっているくびれ部分。ここは縄文時代には海だったため、周りよりも標高が低くなっている。

つまり、坂があるということは、そこに膨らみとくびれがあるということ。

「紀尾井」の名前の由来

ちなみにこの「紀尾井」という名前の由来は、江戸時代の大名屋敷に由来する。

大名屋敷とは、各藩のお殿様や役人が住む屋敷のこと。地方から参勤交代でやってきた際の拠点として、江戸城の周りに建てられた。

名前の由来は単純で、「紀尾井」を「紀・尾・井」に分けると、藩の名前となる。

「紀」は紀州藩のことで、現在の和歌山県と三重県の南部を治めた藩。

「尾」は尾張藩のことで、現在の名古屋を拠点とした藩。

「井」は滋賀の彦根藩のことで、彦根藩の主である井伊家の頭文字。

この3つの藩の大名屋敷が近くにあったので、「紀尾井」となった。

あの有名人が暗殺された「紀尾井坂の変」

紀尾井坂の端まで行ったら、左に曲がると日比谷線の麹町駅がすぐだ。麴町駅に行くのも良いし、四ツ谷駅に戻るのも良いだろう。

しかし、最後にぜひ立ち寄ってもらいたい場所がある。清水谷公園の敷地内にある、「大久保利通哀悼碑」だ。

実はこの紀尾井坂、あの大久保利通が暗殺された場所なのである。

大久保利通 国立国会図書館所蔵

明治11年に起きた「紀尾井坂の変」と呼ばれるこの事件は、日本政府の中心人物であった大久保利通が待ち伏せしていた人物6人に暗殺され、政府に衝撃を与えた。

現代日本の原型を作った一人の終焉の地が、こんな立派なホテルやビル囲まれた場所にあるのだなと、そんなことを感じてみるのもいいでしょう。

東京にはたくさんの坂がある。

その一つ一つにストーリーがある。

地形を感じられるし、歴史も感じられる。そんな場所がいっぱいある。。

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