携帯電話が普及し、メールでのやりとりが主流となった平成に、こんなラブソングがある。
恋しちゃったんだ たぶん 気づいてないでしょう?
星の夜 願い込めて CHR.R.RY
~指先で送る君へのメッセージ
YUI『CHR.R.RY』より
だが、この愛する人に、どうやったら想いを伝えられるだろうか、という気持ちは江戸時代の人々も同じ。
ただ表現の仕方が少し違ったというだけのこと。
江戸時代の遊女たちの間では「指先で送る君へのメッセージ」ならぬ、「指先を贈る君へのメッセージ」的なことが行われていた。
少々怖いと思うかもしれないが、ただ愛の表現が、今とちょっと違かっただけのこと。
大事なのは時代の背景を知ること。遊女たちがなぜ指先を贈るほど身を削っていたのかを知ること。
今回はそんなテーマでお話していきましょう。
遊女とは?
遊女とは、遊郭という今で言う風俗で働く女性のこと。
江戸時代、遊郭は幕府公認で全国に約20箇所ほど存在した。有名なところだと東京の吉原。現在でも浅草の近くに、風俗街として名残を残している。
風俗といっても現代の感覚とは異なる。ただただ性的欲求を満たすためだけの施設ではなく、非常に格式高いものだった。
客も目当ての遊女とすぐに遊べるわけではない。1、2回目は面会や顔を見るだけ、最低でも3回通ってようやく遊女に話してもらえるみたいな具合だった。
ドラマ『JIN-仁-』で中谷美紀さん演じる野風は花魁(おいらん)という、トップクラスの遊女である。美しい恰好で行列をつくり、街をねり歩く花魁道中はとても優雅なものだった。
しかし、一見華やかそうに見える遊女たちの世界だが、決してそんなことはなかった。
逆に、今では考えられないほどの壮絶な世界があった。
遊女には給料がない。家や親の都合でできた借金のために、売られてくる女性がほとんどだ。
その借金を返し終わるまで働くというシステム。契約期間というものがあり、その約束した期限を過ぎれば自由になる。大体16~17歳から10年間が期限である。
食生活も考えられない。
朝おじや、夜茶漬け。次の朝茶漬け、夜茶漬け。次の朝食わず、夜食わず…。
その上梅毒などの病気にかかる人も多数。
そのため平均寿命は22歳。多くの遊女が任期前に亡くなっていたのだった。
売れっ子になってたくさん稼ぐことができればその分早く自由の身となるが、稼いだお金もお店に入るシステムである以上それもなかなか厳しい。
遊女たちはそんな過酷な日々を過ごしていたのだ。
唯一可能性のある方法としては、男が金を払って遊女を辞めさせる「請け出す」という行為がある。恋人がお金持ちでそれができれば、晴れて普通の女性として結婚ができる。
遊女たちが恋愛に対してどのように思っていたか。
これから紹介する驚きの愛の表現方法も、こうした背景があるということをふまえた上で見ていくべきだと思う。
愛を誓う「心中立て」
遊女が特別な男性への愛を誓うことを心中立てという。
この心中立てにはいくつか種類があった。
起誓文という誓いの文を書いた紙や、血判という刃物や針で指を傷つけ、血の付いた指で判を押すというものなどが存在した。
しかしそれだけにおさまらず、体の一部を犠牲にして男性に贈るものまで出てくるようになった。
髪の毛を贈る
まずは髪の毛。髪を一束切って渡すくらいではあるが、髪には魂が宿るとされていた時代だ。
江戸時代の女性でショートカットの人などみたことがないので、そんな女性の命といっていいほどの髪の毛を切って捧げるということは相当なことだろう。
渡す方はもちろん、もらう方も勇気がいる。心中箱という箱に入れて渡したのだとか。
名前入りの入れ墨を彫る
愛を証明するために入れ墨を彫る。
と聞くと、恋人の名前を体に彫ってしまうやんちゃな人をイメージするかもしれない。
しかし江戸時代ではすでにそれが行われていたのだ。しかも女性が。
どうやらこの場合は男性が女性に彫らせていたパターンが多いみたいだ。名前が徳右衛門なら「とくさま命」。清助なら「きよ命」と。
切断した指を贈る
そして、究極のものが指。
左手の小指の第一関節を切り離し、心中箱に入れて贈る。
先ほど紹介した髪の毛や、爪をはいで贈るというやり方もあったが、これはどちらも再度時間が経てば生えてくるものである。指は二度と生えてこない。
心中立てがエスカレートした究極の形が指を切るという行為になった。
あまりの痛さに気絶するので、気付薬を用意をしておくほどだった。
「指偽装」なんてものも
さすがにこのやり方はごく稀な例であったようだが、作り物の指や死体から小指を切ったものを、自分の指として贈った遊女もいるようだ。
偽装した指を複数用意し、同時に何人もの男性に贈るなんてこともあったとか。
「指切りげんまん」の由来にも
約束を守るための「指切りげんまん」は、この遊女たちの文化が一般にも広まり、約束を必ず守る証としての意味になったという。
ちなみに「げんまん」は拳骨1万回の意味で、約束を破ったら1万回殴るという意味のものが後に付け足されたものだ。
「心中ドラマ」が流行
相手に思いを伝えるための心中立て。
しかし、お互いに想い合っていたとしても、幸せな結果になるとは限らない。
『曽根埼心中』という物語がある。人形浄瑠璃や歌舞伎の演目になった物語だが、実話である。
主人公の徳兵衛は、遊郭で働くお初という遊女に恋をした。
説明したように、結婚するにはお金を出して「請け出す」ということをしなければならない。
徳兵衛にはそんな大金はなかったが、諦めることはしなかった。
徳兵衛は縁談の誘いも断り、親からも見放され、さらには借金ができたという親友に金を貸すも騙されてしまい、大金を奪われてしまう。
もし現実的に考えるなら、お初が契約期間が満了するまで待つという手段もあった。しかし、2人が選んだ選択肢はそうではなかった。
生涯を添い遂げることは決して諦めない二人だったが、もうどうしようもなくなった。思いつめた2人は、互いに死を覚悟する。
そして徳兵衛とお初は、曾根崎というという地の森の中で自殺してしまうのだった。
このエピソードが、江戸時代では「恋のお手本」として知られることとなった。不運ながらお互いを想い続け、死を共にするというあまりにもドラマチックなストーリーが、人々の心を打ち人気になったのだろろう。
今でも想い合った男女が共に自殺することを「心中」というが、「心中立て」が発展したこのような出来事を「心中」と呼ぶようになった。
同じような心中事件は同時期にいくつか起こり、心中を描いた物語も多く出た。
時代、職業、環境に縛られながらも一途に想い続ける2人。なりふり構わない恋。叶わぬ夢。
ドラマチックな恋愛への興味は、今も昔も同じなのだろう。
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