県庁所在地が城下町じゃない都道府県の物語、第1回は長野県。
以前、県庁所在地とお城の関係性について書いた。
県庁の近くにお城がある都道府県が多く、それは歴史的な理由があるということを述べた。
県庁が城下町なものが31あり、城下町でないものが16あった。長野県内の最大城下町は松本であり、国宝である松本城は天守が現存することで有名だ。
もちろん長野県の県庁所在地は長野市。長野市内にも松代城という城があるが、県庁からは遠い。長野の県庁があるあたりは善光寺の門前町として栄えたエリアである。
この長野と松本の両者は明治初期から壮絶なドラマを繰り広げ現在に至るが、その歴史が背景となり現代でも仲が悪い。
長野VS松本のはじまり
おそらく松本市民は自分たちのことを長野県民とは思っていない。
松本の人間、もしくは信州の人間、と思っているそうだ。
信州とは、長野県の旧国名である「信濃」の一文字+国を表す「州」をくっつけた呼称。
神奈川県民と言わない横浜市民や、愛知県民と言わない名古屋市民の例もある。まぁこれらは県庁所在地だけど。それに似たようなものがあるのだろうか。
でも松本駅付近や市内の雰囲気も、県庁所在地の面構えをしている。
県庁所在地っぽさは十分にある。
1位 | 沖縄市 |
2位 | 松本市 |
3位 | 山梨市 |
4位 | 下関市 |
5位 | 浜松市 |
「県庁所在地があると思っていたランキング」というもので2位になっているくらいだ。
長野県に県庁ができた経緯
長野県の旧国名は「信濃」。
その信濃は江戸時代、10以上の藩が存在していた。
その藩は明治時代初期、歴史でも習ったであろう「廃藩置県」によって県に変わる。
この県は最初、全国で今よりもかなり多い300ほどの県があり、その後の10年間ほどで合併などを繰り返していき、現在とほとんど同じ数になる。
旧信濃のエリアは、藩から県になった10以上が、北部の「長野県」、中南部の「筑摩県」の2つに分けられた。
そして松本は、この筑摩県の県庁となったのだ。
現在でも見られる北部・長野VS中南部・松本の構図はこれが始まりだったのだ。
5年間ではあるが、松本は県庁所在地経験者だ。どうりでその面構えをしているわけだ。なんだ、経験者だったんじゃないか。
しかし、事件が起こる。
松本の県庁舎が火事によって焼失してしまうのだ。一説によると放火とも言われているらしい。
そんな県庁舎焼失のバタバタの最中、明治新政府は筑摩県を2つに分け、半分を岐阜県に統合させ、半分を長野県に統合させてしまう。
これにより、現在の県域と同じ長野県ができあがり、県庁所在地も長野市ということになった。
なぜ長野が県庁所在地に?
なぜ、そんなことをしたのか。
これは明治新政府の思惑と言われている。
江戸時代の幕末~明治初期にかけての幕府VS討幕派(明治新政府)の対立を頭に思い浮かべていただきたい。明治維新というやつだ。
松本は幕府側。明治維新によって敗れた武士たちも、まだまだ多く存在する。
そんな力の強い武士たちの反逆を恐れた新政府が、力の弱い、城下町でない長野に県庁を置かせたと言われている。
だが長野市が何もない町だったわけではない。長野には善光寺という古くから人々の信仰を集めた寺があった。江戸時代には、「一生に一度は善光寺参り」と言われたほど人気の寺だ。
長野はその門前町として街道が整備され、たくさんの人々が行き交う発展した町になっている。
なのであくまで両者とも発展した町だったわけであり、門前町・長野VS城下町・松本という構図なわけである。
近年まで続く長野VS松本
しかし、松本プライドはこのままでは終わらない。
ひらすらに県庁舎移動を唱え続けた。
明治13年には県庁を中央に移動するべきとの建議書を県会に提出するも否決。明治23年再び建議書を提出したが、県会の賛成議員が襲われたりして立ち消え。
大正になっても、昭和に入っても松本はあきらめずに意見を唱え続ける。
そして昭和23年。今度は長野の県庁舎が火災により焼失。最大のチャンス。これにつけいって再び県庁移動論を唱えると。長野県を2つに分けるという案が話し合われることに。そして議会で賛成・反対の採決。
なんと賛成が反対を上回り、とうとう可決。と思いきや、欠席表と白紙が多く、可決される得票数に1票足りずに不成立。
壮絶な戦いをしてきた、松本。
この歴史が、令和の今も遺恨として残っているということに驚く。
よそ者の私には分からない、当事者たちの感情。
この例だけに限らず、私たちの地域における独特な感情には、きっとこうした歴史が関わっているのではないかと思った。
しかし、長野市と松本市が手を取り合って観光業を盛り上げていこうという話もあるようだ。
善光寺を訪れた人の7パーセントが松本城も訪れるというデータもあるらいい。
両市ともに歴史的遺産が豊富にあり、長野駅から松本駅は新幹線で約1時間ほどで行ける。観光客にとってもプランを決めるにあたっての相性の良さは間違いない。
「地域にこだわらず連携することが、長野県全体に大きな経済効果になる」としているが、もちろん地域のプライドは残しつつ。もちろん、先人たちの思いをないがしろにするわけでもなく。
県全体、国全体のことを考えるのは大事だが、その地域の人間の、独特の感情がなくなってしまうのはそれはそれでさみしい。歴史は歴史として受け止めながらも、これからの未来のための地域づくりができればいいな。と、よそ者は思う。
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