膨らみとくびれを歩く Vol.1お茶の水-秋葉原

東京さんぽ

膨らみとくびれは私たちを魅了する。

膨らみは大きければ大きいほど魅力的だし、くびれていればいるほどその膨らみが際立つ。

そんな膨らみとくびれが東京にはたくさんある。

東京を歩くと、素敵な膨らみとくびれに出会うことができる。

私が言っているのは、東京の地形のこと。

東京の地形には、たくさんの膨らみとくびれがあるということ。つまり、地面がでこぼこしているということ。

そんなこと気にしたこともなかった人は、ぜひこの機会に感じていただきたい。

「膨らみとくびれを歩く」は、地形の凹凸をテーマに街を歩き、その地のことを知れるような内容にしていくつもりである。

そんな「膨らみとくびれを歩く」第1弾は、お茶の水から秋葉原にかけてを歩く。

膨らみの上にあるお茶の水

まずは標高が分かる地図で場所を確認。

出典:国土地理院地図

青→緑→黄色→赤の順で標高が高くなっていく。こうして見ると、中央の赤&オレンジの舌みたいな部分だけ、標高が高くなっているということが分かるだろう。

つまりこの部分が膨らんでいるということ。この膨らんだ地を「台地」という。

青い色の平らな部分は「平地」という。

地図の白い丸が御茶ノ水駅で、標高約17m。なので、お茶の水は膨らみの上にあるということが分かっていただけただろうか。

そこから地図の右側、秋葉原へ歩いていく。

秋葉原周辺の標高が約4m。なので、この膨みは13mほどの高さがあるということが分かる。ビル4階ほどの高さだ。

普段この辺を訪れない方にとっては意外かもしれないが、意外とお茶の水から秋葉原は近い。歩いて10分ほどで着いてしまう。

そして今回注目してもらいたいのが、その膨らみを上と下に分断するように流れる川。地図上だと上下にスパンと切れている部分だ。

この川があるのが、膨らみに囲まれたくびれの部分、つまり「谷」。

聞いたことがある方も多いだろう、神田川という名の川なのだが、実はこれ、人の手によって作られた川なのだ。

まるで崖⁉「お茶の水渓谷」という名の人工谷間

スタート地点はJR総武線の御茶ノ水駅の「御茶ノ水橋出口」。

目の前の交差点を左方向に進むと、たくさんの楽器屋があり、さらに進むと明治大学が見えてくる。

今回進むのは右。右に歩いてすぐにあるのが「御茶ノ水橋」だ。まずはそこから駅の方向を振り返って見てほしい。

こんな景色が見えるだろう。

真ん中を神田川が流れ、その周りに建物が連なる。これは「お茶の水渓谷」とも言われる、人工的に作られた谷である。

要するに、人力で掘って掘って掘り続けて谷を作り、そこに水を通して川にしたのだ。

しかも、まだパワーショベルやドリルなんてものがない江戸時代に。

誰が何のために谷を作った?

では、誰が何のために、こんな谷を作ったのか。

江戸時代の東京で連想して、一番偉い人を思い浮かべていただきたい。そう、徳川家康。

今回のお茶の水エリアに関しては、家康亡き後に行われた事業なので、2代目の秀忠ということになるが。

その徳川秀忠が、①氾濫対策のため、②守りを固めるために作った。

こんなざっくとした図で分かるかな。

①西(左)側を流れる川から、青い矢印方向に新しい川をつくる。これが先ほどの写真で見た神田川で、たどり着く先は墨田川。大きい墨田川と合流させることで、このエリアの排水機能が高まり、大雨時の氾濫対策になる。

②東京の町の中枢部は画面左下にある、江戸城。もし仮に北(上)側から敵が攻めてきた場合でも、その位置に崖のような谷があることで、行く手を防ぐことができる。ちなみにこのお城を守る防御を「堀」と言う。

これをふまえた上で、もう一度冒頭の地図を見てもらいたい。

赤い部分の膨らみが、不自然なほどスパンと分けられているのには、こんな理由があったのだ。

これが人の手で作られたなんて、想像を絶するほどの大変さだ。

ちなみにこの堀は、あの伊達政宗が藩主である仙台藩の人達が担当して作ったので「仙台堀」とも言われる。

また、この一帯は江戸時代の錦絵にも描かれているのでぜひ見てほしい。

広重『東都名所 御茶之水之図』 出典:国立国会図書館

ちょっとあれかな、誇張して描くことが多いのかな。江戸時代の絵って。

まあでも人々にとってこの地は、まるで崖のように思えたということだろう。

谷間に一瞬現れる、地下鉄丸の内線

谷間に沿って秋葉原方向へ歩いていくと、この谷間があるために見ることができる珍しい風景と出会うことができる。

そして珍しい風景というのが、これ。

そう、赤い車両が特徴の地下鉄・丸の内線。地下鉄なのに、一瞬だけ地上に現れるのだ。

上にはオレンジラインの中央線が走っているということもあり、同時に映る瞬間を狙って写真を撮る人も多い。

この景色は、いかにこの谷間が深いかを物語っている。

なだらかな坂を下り、あっという間に秋葉原

丸の内線が見えた辺りを過ぎると、なだらかな下り坂になっており、途中に2つの橋がある。

1つ目が昌平橋で、2つ目が万世橋だ。橋の付近、川の向こう側に、アーチ状のレンガ造りが見えてくると思う。

ここにも注目して欲しいのだが、実はこれらは明治時代に存在していた「昌平橋駅」「万世橋駅」の名残だ。

万世橋周辺

どちらもレンガ造りの建物が当時のまま残っており、中央線の線路下で飲食店などとして現在も利用されている。

昌平橋駅は明治時代に4年ほどでお役御免になったが、万世橋駅はターミナル駅としてかなりの賑わいを見せ、駅舎も豪華であった。現在でいう東京駅のような、東京の中心地だったのだ。

しかし、大正時代には周辺に東京駅や神田駅、秋葉原駅が建てられると利用者が減っていき、地位が失われていった。そしてとうとう昭和18年に廃止になった。

そんな歴史がある場所なんだなぁと思いながら歩いていると、もうあっという間に秋葉原に到着だ。

万世橋の歴史を感じ、思いにふける。そして反対側を振り返る。すると目に入る「AKIBA」の文字。いつの間にか現れていた、秋葉原。

このギャップもこの地ならではの面白さ。ぜひ感じてもらいたい。

そして、地形の話に戻す。最後にぜひ注目してもらいたいのが、電車が走る位置。

この頭上を走るは総武線だが、御茶ノ水駅のスタート地点の頃を思い出してほしい。総武線の電車は橋の上から、見下ろすような位置にあったはずだ。

それが秋葉原にたどり着くと、いつの間にかこんなに見上げる位置になっていた。

それは、この2地点に標高差があるから。ビル4階分の高さがあるからだ。

とういうことで、最後に地形の膨らみを再度実感したところで、今回の膨らみとくびれ歩きはここで終了。

次回はどこの街を歩こうかな。

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