男の夢とはなんだろうか。
そう、女性の裸を見ること。その通り。
江戸時代に、その夢を叶えてくれる職業がある。その職業の名は「三助」。
三助とは?
三助とは、銭湯で働くスタッフのこと。
男湯も女湯も関係なく客の体を洗ったり、垢すりをしたりする。
もし江戸時代にタイムスリップするとしたら、私は「三助」になりたい。と思いこの記事を書く。
早速、資料を見ていただきたい。
右側、黒い服の男性が女性の体を洗っている。この人が三助だ。
この三助が、下心を持って女性の体を洗っているかどうかは分からない。どのような理由で三助を目指したのかも分からない。
私が下心を持って「三助になりたい」と言うことに対して「ばか野郎」と思われるかもしれないが、現代にはないこの職業を知るために、少々の下心をお許し願いたいと思う。
女性客も、男性の三助がいることを恥じている様子もないので、当たり前な光景なのだろう。
しかし私からしたら、ただひたすらに憧れる、としか言いようがない。
いいなぁ。
左側に下駄があるということは、おそらくそこが入口。男性の番台が受付をしており、目の前に脱衣所がある。
右の方に行くと湯船があるようだ。
後ろには広告チラシがズラっと貼られている。
ん?よく見ると、番台からも女性客の裸が丸見えだ。
三助になるには
女性の体を洗うという点では三助は羨ましい。
しかし、三助になるにはまず見習いから始め、木拾いや釜炊きを経て一人前になるには数年を要するそうだ。体を洗うだけでなく温度調節に気を配ったり掃除などの雑用も行うようなのできっとクタクタだ。
たしかに、資料の三助の顔を見るとなんか辛そうだ。だってこんなに客がいるのに三助が一人しかいない。もう泣きそうになりながら体を洗っているようにも見える。
体を洗って欲しい客がいたら、番台が拍子木を鳴らし、三助に合図をする。拍子木の回数が1回なら男性の客なので男湯へ、2回なら女性なので女湯へ。「2回鳴れ!」と祈るしかないだろう。なかなか大変な仕事だということが分かってきた。
そういうことを考えると番台の方がいいかもな。
「いらっしゃい」と言い、お金を貰い、「はいどうぞー」と言い、脱衣を眺め、拍子木を鳴らし、洗体を眺め、着衣を眺め…と。
これはタイムスリップしたら番台だな。
と考えたが、番台も番台で大変だった。
番台は、接客をしながらも全体を気にかけなけらばならなかった。
入浴中の客の荷物を狙った泥棒もいたためだ。
全体に目を配り、世間話好きな奥様の相手もし、手ぬぐいや体を洗うための備品等々を販売したり、貸出したり。三助へ合図を出したり。ぼっーと眺めている暇はなさそうだ。
でもやっぱり、どんなに大変だったとしてもメリットの方が大きい。
私は番台になりたい。
ユーキャンにあるかな、番台講座。
きっとあるだろうユーキャンなら。
今からでも遅くない。通信教育で学んで、私は番台になる。
江戸の銭湯事情
番台になるには、銭湯の仕組みをちゃんと理解しないといけない。
後半は、江戸時代のお風呂事情について紹介したい。
江戸の町には、一般的な家には風呂がなかった。火事の火元になるのを避けるためだ。そのため銭湯に行く風習があり、身分も男女も問わず、毎日通う生活に欠かせないものだった。江戸時代後期には600軒ほどの銭湯があったとされる。
当初は混浴が普通だった。しかし、風紀が乱れるとして1791年、寛政の改革で混浴が禁止されてしまう。
やってくれたな松平定信。江戸時代の三大改革でおなじみ松平定信。そんな禁止令も出していたとは。
まぁでも仕方ないか。男女混浴。風呂場は暗くてよく見えなかった。そんな中で何も起こらないわけがない。一部のマナーの悪い奴のせいで素敵な文化が消えてしまうとは。当時の番台はやり切れない思いだっただろう。
混浴が禁止になったことで、女性風呂にのぞき穴をあけるのが流行したとか。
しかし銭湯経営者的には、男女を分けるより一緒にした方が効率が良いため、その辺はルールを守ったり守らなかったり、せめぎあいがあった。
その後も明治時代に至るまで、混浴の銭湯や温泉は存在し続けていた。
この混浴文化には、外国からやってきたあの人もこんなことを言っている。
「男も女も赤裸々な裸体をなんとも思わず、互いに入り乱れて混浴しているのを見ると、この町の住民の道徳心に疑いを挟まざるを得ない。他の東洋国民に比し、道徳心がはるかに優れているにもかかわらず、確かに淫蕩な人民である」
ペリー『日本遠征記』より
黒船でお馴染み、ペリーがこんなことを言っていたそうだ。
うるせぇぞ、ペリー。
他の国とは違う独特な文化があったというだけで、道徳心がどうのこうのって。そんなことを言ってしまう人の方が道徳心が無いと思うけどな。
しかし現代の私たちからしたら、日本人の性事情をアメリカ人に驚かれるということは意外であった。
三助が普通に女性の体を洗ったり、番台も平気に女性の裸が見られる位置にいたり。それだけ裸に寛容な時代だったということだろう。
最後に、誤解のないようこれだけは言っておきたい。
男の夢は、マナーの上に存在する。
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