江戸時代の箱根旅行は難関だった?山と関所を乗り越えろ!

旅行と歴史

日本屈指の観光地、箱根。

富士山や芦ノ湖などの絶景や、温泉。まさに日本を象徴するかのような場所。

国内外問わず多くの人々に人気のある箱根は、首都圏からアクセスもしやすく、泊まりでも日帰りでも楽しめる気軽さも魅力だ。

しかしその気軽さは、鉄道や車などの交通手段が発達したことによるもの。

交通手段が歩きだった江戸時代の人々は、どのように箱根を旅行していたのだろうか。

実は箱根には、人々の行く手を阻む、2つの難所が存在していた。

江戸時代の旅行者の、箱根の温泉に浸かるまでの苦悩を見ていこう。

江戸時代も人気だった箱根旅行

旅行ブームは江戸時代から

戦争のない平和な時代が訪れ、人々の文化が発展していった江戸時代。

庶民の間で、旅行がブームになる。

人気なのは伊勢神宮。一生に1回は行ってみたい、と憧れの場所だったようだ。日光東照宮や長野の善光寺など、神社仏閣へのお参りにたくさんの人が訪れた。

また群馬の草津温泉をはじめとする、温泉巡りも人気を博した。

温泉人気で箱根も人気

庶民からの人気が高かった温泉地への旅行。その中のひとつとしてあげらるのが、現在でも多くの人が訪れる、箱根。

当時の温泉は娯楽というより、ケガや病気を治す、治療の目的が大きかった。これを湯治といい、温泉には1週間~3週間という長い期間毎日入り続けた。

箱根では「箱根七湯」という7つの温泉場が人気を博し、多くの人々が訪れた。

箱根旅行者を待ち受けるのは…

しかし、人々が箱根で温泉に浸かるまでには、2つの難所を乗り越えなければいけなかった。

下の地図を見ていただきたい。

地図の色合いを見てもらえれば分かるが、箱根は全体が山になっている。

まずは、この険しい山が、1つ目の難所。箱根山と言われるこの山は、標高1000mクラスの山が複数集まって形成されており、乗り越えるには相当な体力を要した。

2つ目は、赤いポイントにある、箱根関所。箱根関所は、東海道(江戸時代に整備された道路)の途中にある。当時はここしか道がなかったので、人々は必ずここを通らなければいけなかったのだ。箱根関所では厳しくチェックされ、身元を証明できなければ通ることを許されなかった。

これらが、箱根へ向かう旅行者が乗り越えなければならない、2つの難所だ。

それぞれを詳しく見ていこう。

箱根の難関ポイント①:箱根山

まずは、箱根山について。

箱根の交通手段と言えば、現在では箱根登山電車とケーブルカーではないだろうか。

小田原駅を出発する箱根登山電車は、山をどんどん登っていき、強羅駅にたどり着く。そこから大涌谷へ向かうには、ケーブルカーを使ってさらに登る。

箱根の山の景色を楽しみながら、あっという間に登ることができる。

しかし、江戸時代の人々は当然、歩きだ。箱根に行ったことがある方は、想像してみてほしい、箱根の山々の険しさを。

箱根の山は天下一の険しさ?

「箱根八里」という歌がある。滝廉太郎が作曲した、明治時代の歌だ。

その歌の歌詞には、こんなフレーズがある。

箱根の山は 天下の嶮(けん)

函谷關(かんこくかん)も ものならず

意味としては、「箱根の山は、天下有数の険しさ。中国の函谷関も比べ物にならない」。

函谷関

上の写真が現在函谷関で、中国にあった有名な要塞。漫画『キングダム』で登場することでも知られ、現在見ることができるのは復元されたものだが、当時は高さ68mほどの壁がそびえ立ち、中国を統一した秦の重要な防衛拠点となっていた。

そして、こんな最強要塞でも比べ物にならないほどの険しさを誇るのが、箱根の山だ。

ここで、歌川広重が箱根を描いた錦絵を見てみよう。

歌川広重『東海道五拾三次之内 箱根 湖水図』

まるで反り立つ壁だ。右下には、笠を被った人たちが、行列になりながら、山の間を縫うようにして歩いているのが見えるだろう。この人たちは決してSASUKEチャレンジャーではない。大名行列だ。

天下一とも言われような、こんな険しい山があっても、そこに東海道が敷かれてしまったからには、そこを通るしかなかったのだ。

なぜ東海道は山の中にある?

では、なぜわざわざそんな険しい山道に、東海道を整備したのか。

地図をもう一度見返してみてほしい。山沿いをぐるりと周れば、わざわざ峠を越えなくても静岡と神奈川を結べるのではないか。

江戸幕府はなぜそんな意地悪をしたのか。

これは、江戸の防衛が理由だと考えられている。

東海道などの五街道は、江戸と各地方を結ぶ道路。各地の人々はそこを通って江戸にやってくる。

もしかしたら、どこかの地方の奴らが、幕府を滅亡させようと反乱を起こし、江戸に襲ってくるかもしれない。そんな時のために、あえて山の中に道路を通し、防衛の意味も持たせたと考えられる。

まさに江戸にとっての函谷関になったのかもしれない。

地方で反乱が起きた時、攻撃しに行きやすいような、通りやすい道をつくるのか。攻撃されないような、通りにくい道をつくるのか。 

江戸幕府の選択肢は、後者だったのだろう。この守りの発想は、日本人ならではのものではないだろうか。

箱根の難関ポイント②:箱根関所

続いての難関ポイントは、箱根関所。現在は、資料を元に建物などが復元されており、観光スポットとしても見学できる。

関所とは?

そもそも関所とはなんだろう。

関所とは、全国の要所要所に置かれた、取り締まり場所のこと。

関所は街道上に設けられ、通る人の身元や手荷物などを検査し、江戸幕府に反するような不届き者がいないかを厳重に取り締まった。

東海道という道路の途中に設置された箱根関所は、江戸幕府の本拠地である江戸に近かったため、とても重要な取り締まりポイントだったのだ。

箱根関所
箱根関所 取り締まりの様子

特に厳しかった女性への取り締まり

箱根などの江戸に近い関所では「入鉄砲に出女」といって、特に厳しく調べた点がある。

入鉄砲とは、地方から江戸に入ってくる人が、反乱のための武器を持っていないかを調べること。

出女とは、江戸から地方に行く女性は、江戸に住まわせいる大名の妻ではないかを調べること。

江戸幕府は当時、大名(地方のお殿様)の妻や家族を、人質的な目的で、地元でなく江戸に住まわせていた。そのため、江戸から地方へ逃げられないように、目を光らせたのだ。

男性であれば、必要以上に身元を調べられることはなく、通行手形なども見せなくていいほど、あっさり通ることができたという。

しかし、女性は別。証文とも呼ばれる通行手形を見せ、女性の身元を調べる特別な担当者によって取り締まりを受けた。

証文は関所を通る前に江戸で発行され、顔や髪の特徴などが詳しく書かれていた。関所では担当者はその証文を読みながら、その女性が本人かどうかを念入りに確認した。

それでもやっぱり、旅をしたい

そんな2つの難所があった箱根だが、それでもやっぱり、人々は旅をしたい。

箱根では、今まで長期間の湯治が目的だった温泉も、一泊で効果がある「一夜湯治」など、遊興的な旅に変わっていく。

また、これらの2つの難所は、箱根の旅行者だけの行く手を阻んだわけではない。

江戸から伊勢神宮へ旅する人など、全国を行き交う人々の前に、立ちふさがったのだ。

しかし、それでもやっぱり、人々は旅をした。

箱根の山と関所を乗り越えるのも、旅の行程のひとつだと思っていたのかもしれない。

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